前回のあらすじ 05

『心(こころ)』 前回までのあらすじ

■第五回(2015年5月31日) 
「先生と私 三十三から三十六」
「両親と私 三十七から四十」

6月、私は卒業論文を書き終え、予定通り及第した。卒業式の晩、先生のうちへ御馳走に招かれていった。食後に奥さんの手製のアイスクリームを頂いていると、先生が聞いた。
「君も愈卒業したが、是から何をする気ですか?」
私にはただ卒業したという自覚がある丈で、是から何をしようという目的もなかった。
「本当いふと、まだ何をする考えもないんです。実は職業といふものに就いて、全く考えたことがない位なんですから。だいいち何れが善いか、何れが悪いか、自分が遣ってみた上でないと解らないんだから、選択に困る訳だと思ひます。」

私は其夜十時過に先生の家を辞した。二三日うちに帰国する筈になっていたので、席を立つ前に私はちょっと暇乞いの言葉を述べた。先生も此夏は何処かへいくかも知れない、とのことだった。
「時に御父さんの病気はどうなんです」と先生が聞いた。この前の冬に父の病気がわかり、帰国したばかりだった。私は父の健康について殆ど知るところがなかった。何とも云ってこない以上、悪くはないのだろう位に考えていた。「本当に大事にして御上げなさいよ」と奥さんもいった。すると先生が突然奥さんの方を向いて「静、御前はおれより先に死ぬだろうかね」と聞いた。
「もしおれの方が先に行くとするね。さうしたら御前何うする」
「何うするって・・・、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定っていふ位だから」
奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしくこういった。


それから三日の後に、私は汽車で国へ帰った。

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